日本の大部分では梅雨のさなか、北半球では一年中で一番昼が長く夜が短い日、 夏至である。「暦便覧」には「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり」 と記されている。6月22日ごろとあり、この日から、次の節気の小暑前日まで とのこと。夏の至りて、梅雨がある。天皇、小野神社の境内もしっとりと雨に濡れ ひと時の静けさに包まれる。この頃、京都では、半年間の罪のけがれを祓い清めて、 残る半年を無病息災を願う神事「夏越祓」(なごしのはらえ)が行われる。 もっとも、猫族にとっては、人間の勝手に決めたことであり、猫の営みから すれば、真冬と真夏の時期さえ分かればよいのである。 庭には、赤みを帯び青が幾重にも重なり合った紫陽花が五月雨にひっそりと 咲いている。ここ三日ほどこの花の上に小さな水滴を残す静かな佇まいの 日々であった。比良山も益々緑色が濃くなり、少し前までまだらだった中腹も 深緑一色に化粧している。ただ、その緑も静かに降り注ぐ雨の中では、ぼんやりと 浮かんでいる様だ。灰色の中にやや茶げた山頂と緑の中腹、そしてピンクや 黄色に彩られた麓がやや霞んだ琵琶湖へと一直線に伸びている。 蓬莱の駅は無人駅だ。少し前まで、手打ちそばの蕎麦屋があったが、すでに休業 している。やや硬めのそばは歯ごたえがよく結構通ったものだ。そこは琵琶湖 が近くに迫り、わずかに茶褐色を見せる畑と田んぼが緑をたたえて湖の青さの 中に消えていく。その風景も見られなくなった。 久しぶりの快晴だ。ふと、熱いさなかの歩きをしたくなった、老人の冷や水か 熱中症に一片の不安は残るが。 駅前からの道はやや勾配を保ち、比良の山端に向かって伸びている。 初夏の日差しがさえぎるものがない舗装道路に強く照りかえり、その白さを一段と 強めながら、彼の体を突き抜いていく。小さな影が彼の歩みに合わせ静かに ついてくる。集落を外れ、砂利道に入ると、草草の発する息がむっとした水蒸気 となり、朝日をうけて金色に輝き、体にまとわりつき始める。すでに数10センチ に伸びた稲穂が鋭い穂先を見せながらゆったりと風に乗って動いている。 朝の雫に光り輝く蜘蛛糸がそのあり様を誰の目にも明らかにするかのように水平な 網を稲穂の揺れ動く中、あぜ道の草むらの中に見せている。その細く雫を帯びた糸は、 五線の譜のようでゆらゆらと揺れている。大きな水玉がしなった葉の上を転がり すっとんと落ちた。 深緑、薄い緑、白い小さな花、その群生の中を日差しを跳ね返しながら、川が顔 を出す。小さな凹凸が水にいくつかの階を作り、下へと流れている。数条の水の筋を 造りながらそのくねり進む様は悠々たる大河の趣を感じさせる。 夏の暑い日、友達とパンツ一つとなり、ザリガニや小魚を捕りあった日、小魚が その銀色を一ひねりしながら水草に隠れるのをさらに追いかけた友の水浸しの体、 葦に伝わる泥と小石の感触と水の冷たさ、さらには背中に刺す太陽の熱さ、 ふとそんな昔の情景が浮かぶ。 川を少し上ったところにその情景はあった。 蓬莱山の横たわるかのように何十となく緑に熟れた水田が上へ上と重なっていた。 北船路の棚田だ。伸びた先に森の一団がこれも蓬莱の山に溶け込む形で棚田と青い 空を仕切るかのように横一線に伸びている。飛行機雲が一つ青く広やかな空を 二分するかのように西へと伸びている。覚悟を決めて、棚田の最上部へと一歩 踏む出す。見た目でもその勾配の強さが感じられるが、歩き始めるとその強さが 足の裏を伝わり、体全体に感じられる。かなりきつい。夏の田んぼは、浮草がその 水面を覆うかのようにひろく生えわたっている。その中にいくつかの目がこちらを うかがうように水面に盛り上がっている。蛙たちだ。その緑の肌と大きな目は 闖入者の動きを見張るかのようにじっと眼を据えて動かない。あぜ道に身を 伏せるかのようにそれに近づくと一瞬にしてそれは消えた。 途中、紅色の花が群れ咲く2本の木に寄り添って、強烈な日差しを避け、ひと時の 息休めをする。頬を撫ぜる風がわずかな流れで彼に心地よさを与える。 まだ成長の途中であろう稲たちが一斉に右へとその穂先を傾け、また左へと 揺れ動いている。渡る風の音は聞こえない。 棚田の中ごろあたりであるが、平板な青さの湖に白い帆を揺らめかせているヨットや 2筋の波線を引きながら右から左へと流れるボートが見られる。その先は夏の 霞の中にただ茫洋と白さが広がり、いつも見える三上山の小さくも華麗な姿は その白き霞の中に消えている。 比良は山端が琵琶湖の湖岸まで直接伸びており、平地が少ない。伝承によれば、 明智光秀の時代から山麓の傾斜地に水田の開発が進められてきたという。 どこの地域の棚田もそうだが、水をたたえるため、石垣等をつくり、等高線に 従い平坦な土地を確保している。棚田百選などと言われているが、ここも先人たちの 努力が営々と続けてこられた結果でもある。我々は写真などで美しいとは思うものの、 その地道な毎日の生業を忘れてはならない。 ここも、後継者の問題などで一時その姿を失う状況ともなったが、水田を大きな区画 につくりかえる圃場整備事業を行うことで、大きな区画の水田が雛壇状に並ぶような 棚田になったという。多分かってあった棚田の形はだいぶ消えたのかもしれない。 千地と寄せる光の中で、彼はそんなことを思った。 最上部の棚田の横に来た。途中の道で見た情景よりもさらに艶やかに広がる緑と 琵琶湖の千地に光る群青、雲の幾重にも重なった空の薄青きが1つのフレームに はめ込まれたように目の前にある。既にここでは棚段という意識は覚えず、 幾重にも重なる緑の絨毯がいくつもの黒い線で区切られ、下へ下へとと延びている、 ただそれだけだ。その緑も平板なそれとは違い、そばの森のざわつきに合すか のようにその緑の中に小さな影が出来、全体がふわり浮かび上がりまた下がる、 その緩やかなリズムが彼の鼓動と同期し、緩やかな和らぎを与えていく。 足元をゆったりとした水縞を描きながら水音が流れる。その溝の横に、ツユ草が 群れ咲いていた。真っ青な花びらには、紺色の筋が枝葉のように広がり、さながら ガラス細工のようである。黄色のおしべはその目の覚めるような色をさらに 強めている。ここはちょうど梅の木の下、強く光る日差しの中で、ややくつろいだ 空気が占めている。小さな草花たちもその日陰の中で、休息している。 静かな時間が流れ、彼は一刻の眠りにつく。 棚田は自然と人の結節点だ。ひな壇のように落ちていくそれぞれの水田のすぐ横には、 樫の木や栗の木がその葉群をざわつかせながら取り巻き騒いでいる。今はのびやかに 育つ稲たちも人の手が手控えられた瞬間からこれらの森の様々な木々や草たちに 侵略され朽ちていく。どこの棚田もそのような宿命の中で生き続けるのだ。春先に 聞こえる田植えに集まった人々、そこには幼児の初々しい声もある、がある限り この水田たちも永く生きていけるのだ。午睡の中で、そんな取り止めのない思いが 湧きまた消えた。そのウツらとした中にブーンという羽音が彼を引き戻す。 虎模様のカミキリムシが彼の肩に止まり、その長い触角を揺らしていた。 緑続く水田と湖の照り映える蒼さの中を一直線に白い線が通っている。やや高めの ブレーキ音を出して緑色の電車が駅に滑り込んできた。数時間前までの灼熱の空は やや柔らかさを増し、頬を撫でる風にも涼やかさが加わり始めている。彼は木陰から 重たげに体を起こし、もう少し周りを見るかの仕草で棚田の外れへとあぜ道を たどりながら進む。かっ、かっ、かっ、と少し早いヒグラシの声が近くの森、遠くの 森から木霊してくるようだ。その澄んだ声が足元の草藁を撫ぜるかのように彼の 耳に届く。やがてここにもアブラゼミやミンミンゼミの声があふれその穂先を 揺るがすかのように四方に飛び交う。
2016年6月29日水曜日
北船路棚田、夏至のころ
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