夏の暑さも少しその勢力を衰え始めたころ、主人のよく言っている堅田の街なるものが 気になり、下の街の古老猫に色々と聞いたのだが、今1つ納得できずにいた。 さらに、その古老猫が「あそこにはなかなか面白い猫がいるねん、お前さんも一度 おうて見るとよろしい」という。そこで、少し遠出の現地調査なるものを行うこと にしたのだった。 朝の光の中、草むらや葦の生い茂る中を湖に沿って大分歩いたころ、古老猫が 言っていた小さな湖にかかる橋があり、そこをゆっくりと行く。 ハスの花が水面にそのピンクの形良い姿を現している。その下を黒いものがゆったりと 動き、はすの花たちがわずかな動きを見せる。たぶんアユなのだろう、この時期、 もっと北の方では川を競り上がる鮎たちの銀色の光に映える姿があちこちで見られる。 琵琶湖が家の庇を埋めるかのように見え始める。細い道が琵琶湖の縁に沿って先まで 伸びていた。その道沿いには、魚の匂いが漂う店、ガラス戸に豆腐と書いてある店、 さらには甘酸っぱい香りを漂わせている和菓子の店、それらが格子戸のある家や 黒板塀でおおわれた家をはさんで何軒か置きに、チャトの前に現れた。 それでは、所在ないと、路地へと入り込む。足の向く方へまた十歩ばかりも歩いて、 路地の分れる角へ来ると、「ぬけられます」という立て板が見えるが、そこまで 行って、今歩いて来た後方を顧ると、どこもかしこも一様の家造やづくりと、一様 の路地なので、自分の歩いた道は、どの路地であったのか、もう見分けがつかなくなっ てきた。 おやおやと思って、後へ戻って見ると、同じような溝があって同じような植木鉢が並べ てある。 しかしよく見ると、それは決して同じ路地ではない。 路地の両側に立並んでいる二階 建の 家は、表付に幾分か相違があるが、これも近寄って番地でも見ないかぎり、全く同じよ うである。 いずれも小さな開戸ひらきどの傍に、格子の窓が適度の高さにあけてある。 迷っているとき現れた手押し車の老婆の後を追う形で歩くことにすると、小さな川に出 た。 5段ほどに積み上げられた石垣の水面に浮き草が浮かび、川沿いの柳の木が左右に 分かれて一方は入り込む家々の並びに消え、他方は琵琶湖の岸へと向かっているが、 そこは、ほとんど葦におおわれた川面となり、葦のあいだには破船が傾き、その彩 が日にきらめいている。その端には堅田漁港という看板がすこしペンキの剥げた姿 で立っていた。右の路地には白壁に囲まれたお寺が瓦屋根の門をこちらに向けて チャトをいざなうような風情に見えた。 「もう寺も見飽きたわ」と一声発し、さらに先へと進む。途中、チャトと同じ茶色と 胸白の猫が桔梗や芙蓉の紫や白の花壇の横から見ていたが、のんびりとした様子を 崩さず、眼でチャトを追うのみ、よそ者にはあまり関心がないようだ。 小川を過ぎても、黒板塀がくすんだ色となった風雪を感じる二階建ての家々、 ガラス戸越しに見られる肉屋や広く野菜を道路まで出している店の橙色に 染められた店先、その横の木造りのベンチでじっとこちらを見ている浴衣姿 の老人がいた。頭を綺麗に剃った小柄な体の人。年は無論七十を越している。 その顔立ち、物腰から着物の着ように至るまで、湖族と言われた気概を、そのまま くずさずに残しいる姿が、チャトの目には不思議にさえ見えた。我が家の周辺や 下の街ではお目にかかれない風情であったのだ。折から急に吹き出した 琵琶湖からの風が老人の一片翻し、その小道から路地へと流れ込み、あちらこちらに 突き当たった末、格子戸の小さな窓から家の内に入り、さらには小金細工の風鈴 を鳴らして消えた。その涼しさを含んだ音に誘われたかのように子供連れで忙しそうに 走り行く親子、白い割烹着で小走りに魚屋の店に入る人、がチャトの前に現われては 消えていった。人の匂いがする路地が次々と現れ、また違う路地へとつながっていく、 そんな考えがチャトには思いもかけず浮かんだ。 路地の隅にひっそりと建つ小さな神社と立ち枯れた様な榊の木々、さらには破れかけた 広報紙が張り付いている掲示板、白く剥げ落ちたところが目立つ郵便ポスト、さらには この先は「行き止まり」という立て看板、雑多な情景がここにはあった。 昨夜の雨の残り香のような水たまりが午前のまだ柔らかい日を浴びて、その面を薄青く 見せていた。チャトはその重い体を宙に浮かせ飛び越した。 左方の家々の間から、御堂の瓦屋根が、その微妙な反りによって、四方へ白銀の反射を 放っていた。やや広い道路と交差しその左手に「浮御堂」と掛かれた大きな石と その上に大きく迫立した松が青い空と湖の中にはめ込まれるようにあった。 これが主人の言っていた湖中に御堂があるという浮御堂と察した。 その猫はこのお堂の前にある魚屋にいた。黒い毛並みにおおわれ、顔は鼻を中心に白く 胸のところまで白い毛が伸びていた。青く澄んだ目がひと際目立ち、チャトも彼に 見つめられると、その強さに思わず目をそらさずにはいられなかった。 その猫は、ゴンと呼ばれていた。 この魚屋は湖魚を扱っているので、よくチャトがゴローからもらったりするアユや フナなどが店先にちょっこんと並んでいる。 ゴンは浮御堂を囲む白い塀の上にチャトを誘い、話し出した。そこからは湖に浮かぶ 御堂、松が数本影を落とす庭園、書院らしき桧原葺きの建物が見られ、琵琶湖の 浜辺である東側は石垣に区切られているが、対岸の三上山を中心とする湖東の連山 が遠景となって一幅の湖水画をなしていた。 「あんたはん、ホカヒビトって知ってるか」 「知りませんわ、ホカヒビトって、なんですねん」 「人間がまだ文字を持ってへん時代、色々なことを語り継ぐ必要があったんや。 特に、天皇さんや地域の支配者って言われる人は語り部が必要だったんや。 それは王権の歴史や王権の系譜を語り継ぐ語り部であったやろうし、王が王で あるための、王権が王権として存在するための1つの装置やった。 こうした王権の維持装置としての語り部は、神語りあるいはフルコトと呼ばれる固定的 な 詞章を暗記し、それを祭祀の場で音声によって語り伝えるというんやけど、そうした 聖なる言語表現を「呪力あるもの」にする力ももたねばならなかったんや。 ことばが呪力を持つためには、言葉自体の装い、神語りになるためのさまざまな様式や 表現形態を整えたりし、その1つに我が猫族も裏で働かされた時代があったようや。 例えば、私らの持つ予知能力も利用しよったんや。 語り部や古老のように、王権に隷属したり、土地に定着したりして伝承を語る者たち に対して、共同体から浮遊し巡り歩く者たちがいて、それが「乞食者(ホカヒビト)」 と呼ばれる存在やった。この巡り歩くホカヒビトは古代の伝承者として、共同体から 離れた、あるいは離された存在であったけど、神の立場に立ちうる存在として、 ホカヒビトも変わらへん。それは、国家の内部に抱え込まれるものと外部にさすらう者 との違いがあるだけや。さらには、原初的な存在として、共同体には「古老」たちが いたんや。わしらの祖先は、都から来た語り部が飼っていた猫やったけど、この地で 古老となり、ホカヒビトになったものおるんや」 チャトは、彼の言っていることが分からなくなったが、要するに、彼らの一族はほかの 猫と違うんや、と言いたいんやな、と理解した。 「それで、ほかの古老たちとあんたはんはどう違うんや」 その直線的な物言いに、ゴンはちょっと驚いた風情をしたが、すぐに元の大仰な態度 に戻った。彼の特徴ある長いひげがさらにその緊張を増したかのように張り出している 。 「例えば、わしらは、お前さんらの近くにいる仙人猫や古老猫のように今昔の生活の記 憶 よりも、歴史的な記憶が多いし、お偉いさんの近くで色々と聞いているから、ややこし い 政治的な物事も、そして少し神がかり的な出来事をよく知っているんや」 「わてはこの街は少し主人から聞いているんやけど、もう少し細かく教えてや」 「この街はかなりの昔からこの湖の海上交通の要衝として栄え、堅田衆と呼ばれたんや 。 彼らは、自らの手で郷づくりを行い、「堅田千軒」といわれる、近江最大の自治都市を 築いたようや。16世紀半ば、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは彼の故郷への手 紙 の中で、当時の堅田のことを、泉州堺と並び称し、「はなはだ富裕な堅田」と 述べてらしいわ。浮御堂周辺の町並みは、家々の造り、その石畳、など当時の雰囲気を 伝えているやろ。その情景は多くの人が行きかい、熱気盛んな土地であったそうや。 戦国時代には、繁栄する堅田には早くから神仏思想が流入、多くの寺社が建立された らしゆて、南北約2kmの湖畔地域には、六社十ヶ寺が現存し、豊かさと風光の美しさ に魅せられ、天皇、摂家、武人、僧侶、文人が往来し、様々な文化を作ったそうや。 藤村庸軒・北村幽安というお人の茶の湯文化、芭蕉さんの俳諧文化は堅田文化を なしていたんや。この郷には7基の句碑と「堅田十六夜の弁」記碑があるんや。 「病む雁の夜寒に落ちて旅寝かな」、「からさきの松は花よりおぼろにて」~本福寺 「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」、「比良三上雪さしわたせ鶯の橋」~浮御堂 「朝茶飲む僧静かなり菊の花」 ~祥瑞寺 「海士の屋は小海老にまじるいとど哉」 ~堅田漁港 「やすやすと出でていざよう月の雲」、「十六夜や海老煎る程の宵の闇」~十六夜公園 わしもこの俳句というのを気に入っているんやけど。 ちょっとあんたらの里山の雰囲気とは違うやろ」、と言う。 チャトは、この街と我が家の周辺とそんなに違うものか、と思ったが、なるほどという 仕草でゴンにあわした。 心の想いとは違う態度、この人間が至極当然やっていることをチャトもやった。 「俺もかなり人間ずれしてきたんやな」と心に想った。 やがて、塀の2人の影がやや朱色を帯び、長く伸びていることに気付いた。 まだゴンは話したりないといった風情であったが、チャトは家路へとついた。 ホカヒビトという仙人猫、中々に面白い奴や、帰り道は楽しく長い影を引きながら 我が家へと戻った。
2016年7月23日土曜日
堅田散策
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿