2016年2月5日金曜日

「志賀の水」関連

みあれる命、山が生み出す最高の命、水

旧志賀町の湧水などをめぐり、水への感謝をあらためて感じる。
1)金毘羅神社(守山)を山側に上がった場所
 こうもり穴の近くか?

2)八幡神社境内(南小松)
南小松の山手にあり、京都の石清水八幡宮と同じ時代に建てられたとされます。
祭神は応神天皇です。創祀年代は不明ですが、古来、南小松の産土神であり、
往古より日吉大神と白鬚大神の両神使が往復ごとに当社の林中にて休憩したと
云われ、当社と日吉・白鬚三神の幽契のある所と畏敬されています。
春の祭礼(四月下旬)には、神輿をお旅所まで担ぎ、野村太鼓奉納や子供神輿
が出ます。また、この辺りは野村と呼ばれ、特に自家栽培のお茶が美味しいようです。
八朔祭(9月1日)が行われ、夜7時ごろからは奉納相撲が開催されます。
八幡神社の狛犬は、明治15年に雌(右)、明治 17 年に雄(左)(名工中野甚八作)
が作られ、県下では一番大きいといわれています。体長180センチ弱ですが、
左右違う、そのたてがみや大きな眼が印象的です。
また、神社の横を流れる水は裏の念仏山の湧水を引き入れたもので、
かなりの水量です。

3)比良駅の直ぐ横
4)弁天神社(南小松)
八幡神社から山手に歩いて15分ほどの山裾にあります。
入り口には石の蛇があり、静寂の中に神々しさが漂います。地元では、「みーさん」
の愛称で呼ばれています。この裏には滝行の場所やモリアオガエルの生息地
ともなっています。さらに、境内には、白光大神の社もあります。
そこを更に登ると両脇から湧水が染み出し、昔は池があったと言います。
更にそこから3百メートルほどの念仏山の頂上を目指すとやや勾配の厳しい道も
ありますが、近江舞子の内湖や八幡山が遠望できます。また、弁天神社の
山下には、豊富な湧水が出ており、ここが八幡神社の水源となっています。

5)卵販売{利助)の後ろ
6)栗原?
7)北小松のかわと
「かばた」とも言われるが、家の中に湧き水や琵琶湖の水、川の水を引き込み
生活用水として利用した。高島の針江のかばたが、最近有名である。小松では、
山からの湧水が川となり、それを生活用水として利用していました。まだ、
彼方此方に残っていは居ますが、多くは数段の石段が川に延びた状態で、
昔の面影を残すのみとなっています。

8)家棟川(やむね)は天井川として南小松付近がよい

9)湯島神社
荒川の大谷川を三キロほど遡ると、湯島の地に弁財天が祀られた社があります。
昔この地域は大谷川の氾濫があり、竹生島の宝厳寺から弁財天の分霊をいただき、
祀ったとされます。
また、この社には地域の貯水をまかなうほどの水が多く出ています。

10)樹下神社(北小松)
御祭神は、鴨玉依姫命です。水を守る神様です。
境内社には、比較的大きな社務所もあり、天滿宮、金比羅宮、大髭神社があります。
また、石造りの社があり、天保時代の石燈籠など8基ほどあり、この神社への信仰
の篤さを感じます。珍しいのは大きな石をくり抜いたであろう石棺や緑の縞が
明瞭に出ている2メートルほどの守山石など石文化の一端が感じられます。
湧水も豊富であり、3箇所ほどの湧き口からは絶えることなくなく流れています。
竜神の像の口からも出ています。また、この神社を少し山側に行くと、修験堂の
登り口の前に「生水(しょうず)」と呼ばれている湧水の場所があります。
ほぼ16度ほどの温度を保っているようです。
ガイドは、木村喜代嗣さん。
 
いずれにしろ、志賀では湧水含め水の様々な形を更に探していく必要がある。
 
 
参考
「滋賀の水」についてのメモ
readyforのプロジェクト
①主要テーマ
比良山系を中心とした大津市湖西地域は、比叡山から連なる比良山の山並と
まだ多くの自然の姿を残す麓の野辺、そして蒼き水をたたえた琵琶湖、さらには、
古墳や多くの神社仏閣が地域の中で生きている歴史的な資産に恵まれた
自然豊かな地域であり、この世界に触発され様に様々な芸術家やお店を開きたい
方々が移住して来ています。ですが、多くの人は琵琶湖のそばにある開発の遅れた
寂しい地域と思っています。
本プロジェクトは、この地域の恵み多き四季の流れを1つの小さな本にまとめて
その良さを多くの人に知ってもらいたいと思っています。
「比良の自然ー四季の恵みを感じる里(仮称)」という50ページほどの本を創る、
これが本プロジェクトの目的です。

②内容
二十四節気の流れにあわせ、その時々の写真と情景を綴った文章でまとめる。
そのはじめを、「比良八講」の紹介と写真で綴る事で、比良八講の認知度アップ
とともに、湖西の地域がこの比良八講を1年の初めとして四季が流れて行く
ストリーにする。

③プロジェクト費用
・目標金額  100万円
ただし、5000部の発行部数として、写真撮影、製本、紹介文作成などの
費用を具体的に算出する。
・募集期間
1ヶ月程度

・寄付者への報酬
3000、10000、30000、50000円などにより設定する。
例えば、3万、5万円寄付者へは「比良八講への招待」「1年間の様々な
イベントへの招待」など。
基本は、サンクスレター、活動報告書、本の贈呈。

なお、寄付申し込みはクレジットカードであり、プロジェクト成功時には、
17%の手数料が必要となり、実際の活動費用は寄付金額の87%となる。



日本遺産
滋賀県は提案した7件から「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」
が認定を受けた。湧き水を家に引き込む「川端(かばた)」など水と生活が
調和した景観や、いかだ乗りを川の魔物から守るシコブチ信仰などの宗教、
ふなずしに代表される食など「水の文化」の深さをアピールした。
文化庁が、日本版の世界遺産として今年度から始めた「日本遺産」に
びわ湖の水と人々が織りなす文化が認定されました。
「日本遺産」は、海外からの観光客の増加につなげようと、文化庁が、
国内に点在する有形・無形の文化財をまとめて日本版の世界遺産として
認定する今年度からの制度です。
今回は全国から18件が選ばれ、滋賀県からは、びわ湖の水と人々が織りなす文化
を集めた、「琵琶湖とその水辺景観ー祈りと暮らしの水遺産」が認定されました。
びわ湖に面する県内6つの市にある、▽国宝に指定された寺院や、▽国の重要文化
的景観に選定された近江八幡市の水郷などが含まれています。
このうち▽大津市の延暦寺は、比叡山から臨むびわ湖を最澄が理想郷とたたえて
建立したとされています。
▽竹を編んで作った仕掛けでアユを取るびわ湖の伝統漁法「ヤナ漁」は、
高島市の安曇川で平安時代からの歴史があるとされています。
三日月知事は「滋賀県では、びわ湖を中心として『水の文化』が人々の暮らしの
中に脈々と育まれてきた。貴重な資源を次世代に引き継ぎ滋賀の魅力を国内外
に発信したい」というコメントを出しました。


歌川広重 東海道五拾三次
大津 走井茶屋
おおつ はしりいちゃみせ
大津 走井茶屋
「走井餅」が名物として親しまれた「走井茶屋」。
名前の由来となった清水の湧き出る井戸。
この辺りは京への輸送路であったため、荷車が通りやすいよう石を敷き、轍の幅で溝が
作られていました。
ぼかしを用いた霞む遠景の山々が、画面に遠近感を生み出しています。
「一」の字を引いたようなぼかしのため、「一文字ぼかし」と言われる。ぼかす色で、
時間、季節そして気候などを表現しわけています。

人間国宝・岩野市兵衛氏が作る和紙(越前生漉奉書)を使用。木版独特の鮮やかな発色や
柔らかな温かみのある風合いを作り出しています。
琵琶湖の南に位置する大津宿は、東海道の中でも最も栄えた大きな宿場でした。「走り
井は逢坂大谷町茶屋の軒場にあり、後の山水ここに走り下って湧き出づる事、瀝々とし
て増減なく甘味なり」とある有名な泉のある茶屋のありさまが描かれています。米俵を
運ぶ車が連なる図は、大消費地京都を間近にひかえ、物流の流通が盛んであったことが
偲ばれます。

滋賀の水調査
http://www.lbm.go.jp/fieldrep/report/2011_1st_report.pdf
天命水/大津市木戸 登山者の給水
金明水/米原市伊吹 伊吹山ドライブウエー 1000m 付近に出ている水で、伊吹登山最後
の湧水。
長等山不動明王の水/大津市 おいしい水とのことで、汲みに来る人が多いとのこと。
甘呂の水/彦根市 観音正寺御用達の天然湧水。100 円で 3 分間流れる。
胡桃谷の明水/長浜市余呉
以前は土手から流れる水を集水して用いていたが、数年前からコンクリ
ートにパイプを取り付けて用いている。深層から湧出しているものと思わ
れ、1 年中温度、水量は変らない。
岩間の水/大津市 岩間寺へ向かう車道に山肌から水が出ていて、近くの人はとり
に行かれます。
月心寺/大津市 昔、東海道を旅した人ののどを潤したそうです。
堂来清水/長浜市浅井高山 名水百選
天皇の水/長浜市高月 名水百選
御神水「知恵の泉」/高島市マキ

おいしい水なので、近くの造り酒屋へ引水して地酒造りに利用
されている。
三尺の泉/高島市安曇川 全国版の名水の図書に掲載され、訪問者に利用されている。ま
た藤樹祭(毎年 9 月 25 日)の献茶の水としても利用されている。
「秋葉の水」「瓜破(割)の
水」/高島市安曇川
昭和35年頃までは洞窟の様な所から冷水が湧いて飲料や果
物を冷やしたり生活用水に利用されていた。
若宮湧水/近江八幡市
飲み水(神水?)として(ペットボトル)にもらいに来る人がいるが、
あまり利用されてない様子だった。水温は思っていたほど冷たく
なかった。(気温 34℃の日)
海老江湧水(仮称)/長浜市湖北 湧き出る水は多く、誰でも気軽に飲めるようになってい
る。

神事(信仰)に使う
人々の生活に欠かせない水を司る神々を祀る祠などは、昔は多くの水
場で見られましたが、いつの間にか打ちやられ、近頃は滅多に見ることが
できなくなりました。その結果が右の図 13 のようになるのでしょう。
水は心や体を清めてくれるといいます。神前にぬかずいたり、御加護を受
けようとするとき、人は口や手を洗い、時には水垢離(みずごり)をします。「禊
(みそぎ)」という言葉のある限り、水と神事は切り離せないでしょう。
名称/所在地 調査者のコメントや説明
弁天池/草津市 島には弁財天が祀られており、以前は農業用水として旱魃時の雨乞いや
豊年祈
願の祭りがあったが、現在は大掛かりな祭りは行われていない模様。
下長尾池/大津市 昔、この池から二体の地蔵が掘り出され、口伝によれば、江戸時代の
日照りが続
く年、地蔵の下に村人が集まり雨乞い祈願をした。
布施溜/東近江市 島には弁財天が祀られている。
八幡神社の池/東近江
市蒲生 島に対面して津島神社の小祠がある。
清龍の滝/米原市 蛇を祀ったり、不動明王を祀ったりした祠がある。

湧水の使われだした時期
① 昔から
名称/所在地 調査者のコメントや説明
野路の玉川/草津市 昔から歌にもうたわれ日本六玉川の一つ
明神池/東近江市 この池は明神さんといって近江八幡市馬渕地区が社を建て、農業用水
の分水
の基点となっており、由緒書きもある。
山室湿原/米原市 湿原は米原市指定天然記念物
泉神社湧水/米原市 日本名水100選
/草津市 湧泉なので残した。
長等山不動明王/大津市 最近は水量減少(源泉不明)
十王の水/彦根市 近年水量は減っている。
/高島市今津 湧水量が減少しており、以前は湧水箇所が目視できましたが、今は確認困

です。
岩間の水/大津市 昔からあったのでしょうね。醍醐寺から山越えで岩間寺へ。下山して
石山寺へ歩く
道筋にあったんだと思います。西国 33 箇所めぐりでハイキングコースです。
南井水/甲賀市土山 平成 13 年に土山町事業として「しょうず公園」として整備された
。(石碑、垣
根、水溜め、落差、ステンレスの道路、境界棒など)
新神戸電機構内/彦根市 昔の農業用水池
川瀬駅北東側/彦根市 昔の農業用水池
若宮湧水/近江八幡市 太古より大化時代から
十王の水/彦根市 元禄年間より世に知られている。
御澤神社「お沢さん」/東近江

推古天皇の時代、聖徳太子が農事を奨励され、蘇我馬子を奉行に命じて開
墾。その水源池として清水池、白水池、泥水池の 3 つを穿たれた。
高光竜神の湧水/甲良町 藤原高光に由来か。
寄倍の池/野洲市 水深きわめて深く旱天に涸れたことがない。
大夫の井戸/近江八幡市安土 室町時代?
/野洲市 小篠原遺跡の井戸
/高島市今津 道路の下の石組みの間から湧いていて、すぐ横を流れる小川が濁っていて
も、この湧水は透明。湧水の流れのなかにはセリが生えている。

/高島市今津 昭和 56 年に今津中学の生徒がザゼンソウを発見するまでは、「しょうず
わら」
と呼ばれ、人が踏み込まない湿地の竹やぶだった。
亀の池/新旭 針江地区の湧水群に近接し、安曇川の伏流水。
「秋葉の水」「瓜破(割)の水」 コンクリートのふたがされたままであったが、平成
16 年に集落で助成を受け
て、元の姿に名水を復活整備した。
/米原市 30~35 年前はよく使われていましたが、最近は、上下水道も洗濯機も各家庭
にあ
るので、ほとんど利用しないようです。あまり見かけなくなりました。
若宮湧水/近江八幡市 以前は水が盛り上がって噴出していたが、琵琶湖総合開発の工事
が行われてか
ら水位が下がった。今は、一段下の鈴鹿伏流水をポンプアップしている。
梅の川/近江八幡市安土 琵琶湖総合開発工事以来水が出なくなったのこと。織田信長の
家臣武井夕庵
がここの水で御茶を入れ信長に献じたところ非常に喜んだとのこと。
/大津市 個人の方が奉仕で湧水を護っているとのこと。石地蔵や「白い水神?」が祀っ
てあり、小さい祠に個人の方の名前が記載。(尼崎市の方)
「長命水」「厄除水」/大津市 岩間寺は泰澄大師が 722 年に建立。その弟子になった
雷神が当時水の乏し
かった岩間山に自らの爪で井戸を彫って霊水を得た。
梅の川/近江八幡市安土 信長の茶の湯水として使用されていた。旧くは銘水であったこ
とがうかがえる
が、今はガボガボと音だけがこのくぼみを満たしている。
間田湧水群/米原市伊吹 伊吹山麓のこの辺りには湧水が多く、古代から水の利用があっ
たと思う。間
田の長曾小臼谷として知られている。
小碓の泉(臼谷)/米原市伊

この泉の西にある間田湧水と共に古代から人々に利用されていたことが標さ
れている。
コンコン清水/米原市伊吹
奥の藪の下にわずかに水溜りが残っているだけ。昔はその名のごとくコンコ
ンと湧き出ていたと思われる。雨の後で行ったら洗い場いっぱいの水があっ
た。水量は天候に左右されるのかも。
奥泉口銘水/米原市伊吹
古代の出土品もあり、噴出する湧水を巧みな石組で台地に導き、農業用水と
して稲作が行われてきたが、今は耕作放棄され、水路も荒れるがままになっ
ている。
海老江湧水(仮称)長浜市湖北 いつごろからは不明。今も絶えることなく溢れている。
日の口桶(小浜桶)/守山市 いつ頃か判らないが、石組の樋門などから明治以前からの
ものでは?

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