2016年2月29日月曜日

南小松、八屋戸探訪

南小松、八幡神社にて
やや黒味を帯びた松林の間には、白き碧さの湖が静かに横たわっている。目を
転じれば、東からの陽光を浴びる比良の山端の切れたあたりに小さな湖がいた。
先ほど乗ってきた電車の去る音が静かな時の流れを引き裂いていく。
まずは、比良山系に向かって緩やかに上る小道をたどり始めた。国道を横切り
更に小道を歩くと、石の道標が出迎えた。「白髭神社 京都壽栄講」とある。
地元古老の話では、江戸時代には、京都から白髭神社にお参りに来る人が多く、
そのための道標が多く立っていたという。今は、7つほどが残っている。
その道標の先にある家の庭には敷き詰められた石と淡然とした趣のある石灯篭が
こちらに向かってにこやかな笑いを帯びた風情で置かれていた。
横を手押しの車を押して白髪の髪を後ろでまとめ上げた女性が、ゆっくりとした
テンポで通り過ぎていく。がたがたという音がやや朽ちた壁と石畳の道の間に
強く響いていゆく。その先には、八幡神社との刻銘がある常夜灯の大きな
石の影が道を寸断するかのように、一直線に伸びていた。
その常夜灯の先に八幡神社があった。
古老の話と説明文から、
「南小松の山手にあり、京都の石清水八幡宮と同じ時代に建てられたとされます。
木村新太郎氏の古文書によれば、六十三代天皇冷泉院の時代に当地の夜民牧右馬大師
と言うものが八幡宮の霊夢を見たとのこと。そのお告げでは「我、機縁によって
この地に棲まんと欲す」と語り、浜辺に珠を埋められる。大師が直ぐに目を覚まし
夢に出た浜辺に向うと大光が現れ、夢のとおり聖像があり、水中に飛び込み
引き上げ、この場所に祠を建てて祀ったのが始まりです。
祭神は応神天皇です。
創祀年代は不明ですが、古来、南小松の産土神であり、往古より日吉大神と
白鬚大神の両神使が往復ごとに当社の林中にて休憩したと云われ、当社と
日吉・白鬚三神の幽契のある所と畏敬されています」と説明されている。
大きな狛犬が、本殿を守るかのように鎮座していた。
右のそれのたてはやや逆立つように大きな目は怒りを含んで本殿に向かう
ものへの畏敬を望んでいるようであり、左のそれは緩やかな鬣にあわすかのように
目や口の造作から穏やかな空気が流れ出て切るようだ。ともに180センチ
ほどの大きな体を悠然と台座の上に横たえ、周囲を圧した空気を発している。
静かな空気を剥ぎ取るようにどこからか水音がした。
本殿の横、石の水路からその音は出ていた。水路は小さいものの、水しぶきが
水路にそって伸びる苔の帯に降り注いでいる。小さな光の筋がその緑に絡み
つくように映え、水の強さをさらに深くしているように見えた。
水音をたどれば、後背の杉の群れの中に消え、念仏山といわれる比良の前面に
ある小山へと続いているのであろう。また下へとたどれば、神社の石垣に沿って、
正面の鳥居の下へとそれは続いている。小さいながらも、まるでこの神社を
守るかのように水音が周囲を覆っている。
春の祭礼(四月下旬)には、神輿をお旅所まで担ぎ、野村太鼓奉納や子供神輿
がこの地域を巡るという。本殿の前には、土俵の堤があり、八朔祭(9月1日)
が行われ、夜7時ごろからは奉納相撲が開催される。子供たちが裸電燈の下で
勢いよくぶつかり合い、周囲からの声援で踏ん張り、そして投げを打つ。
そんな様が自身の少年時分の思い出と重なって古いトーキー映画のごとき
緩やかなモノクロの映像の流れにしばらく身を置く自分がいた。
昭和といわれた時代の名残香が一瞬鼻をつく、しかしそれは50年以上の
古き香りなのであろう。
さらさらという水音に、沖天の光の中にいる自分、引き戻された。
狛犬の目が一瞬、お前はここで何してんねん、と言っているようでもある。
石と水の里、そんな想いがさらに強まった。

八屋戸、若宮神社周辺にて
頭上には黄や赤の入り混じった葉が残光を透かしていた。そこからのぞかれる
比良の山端が澄んだ蒼さの空に、煌めく緑の円錐が一瞬左右へと揺れ、微動した
ように見えた。影を落とす細い道は滑らかに磨かれた石が敷き詰められ、小さな
森まで続いている。横の水路では、多くの水滴をはね、光を反射し、くねりつつ
いく筋もの水縞を作りながら彼の進む方向とは逆行して流れ去る。
比良の恵みとなる水を石造りの三面水路で引き込み、家々の生活用水として
長くその恩恵を受けてきた。そのような水路が地域を縦断する形でいくつも
あるという。
守山石という江戸時代からこの地の特産品として庭石や神社の基礎石として
使われてきた石が観賞用の庭石や庭全体を覆う形での敷詰め石としてこの
地区の家々には多く見られる。さらには、これらの石は比良の湊から対岸の石山寺や
大津城などの石垣にも使うため、船で運ばれたそうだ。立ち並んだ倉庫や
石細工をするための小屋などの名残がその痕跡を名前や史跡などに残っている。
小さな神社がまだ若い杉の木立に見え隠れしている。その背後に広がる
竹藪の中には水のような光が漂っている。苔に覆われた道を行くと、ぽっかりと
木々の屋根が消えた下にやや薄緑を帯びた水面を持つ池が静かにそこにあった。
水面に揺れる光の群れと何処からか漏れてくる湧水の水音が一定のリズムを
持ち、彼の体に染み込んできた。
人の気配はあるが、人が見えない。そんな不可思議な世界に彼一人が、水と
光の空間に立ちつくしている。
さらに入り組んだ小道を歩き、白い壁の土蔵の美しさに思わず立ち止まり、
緑の中に橙色のかんきつの小さな実をなでながら、登り道から下りへと
方向を変えてみた。比良の山並みが後押しをするかのようにその歩は早まり、
1コマづつの写真が古きトーキーの映像のようにゆっくりと流れ去っていく。
眼前には琵琶湖がさざ波の模様を引き、観光船の大きな波痕を深く描き、
対岸の八幡山の小さな山影や沖島の茫洋とした姿を見せながら、浮かんでいた。
神社に向かって歩いていたときは、気が付かなかったが、湖に沿って走る
国道に向かって歩き始め、その青と白とやや薄い水墨画的情景の広がりの
ある湖面に思わず、見とれた。
歩くにつれて石の持つ情景が幾重にも重なっていることに気が付いた。
家々を取り巻く石垣がちょいと入った路地を一直線に横切っている。
そのさして広からぬ田畑は、何段かの棚田となって湖に下り落ちるように
耕されているが、それは大小の石で造られた石垣で丁寧に囲われていた。
縁側が日の中でまばゆい光を発しているその庭には守山石で造られた石灯篭
があり、その造りは真っ直ぐといきり立つ宝珠、それを受ける見事な請花、
露盤のくびれも見事であり、蕨手(わらびて)の先っぽまで反り上がる笠
のラインはその優雅さに思わず見とれる。火袋を受ける中台に施された
十二支の彫刻の精緻さは素人目にも多くの石工がこの地域で活躍していた
そんな証、所在なげに置かれた庭の石たちに見られた。
この辺をよく知る人に案内され、湧水のある林に向かう。
杉の林が切れかかり、湖の淡い碧さが垣間見れるところに小さな泉があった。
クレソンがその小ぶりの葉を緑の光の中に浮きだたせていた。白い砂地から
幾重もの輪となって水がふつふつとわいている。
透き通った水の中を飛ぶように動くものがあった。数匹の小エビだった。
クレソンの葉に隠れ、またそこから飛び出し、自由奔放の時を過ごしている様だ。
この小さな水の世界が彼らの全世界なのだ。
気が付けば、背後にはこの里を慈しみ、守るような形で、比良の山並みがその緑と
赤のパッチ模様の山肌をみせ佇んでいる様だ。
まだここには古き時代の生活とその匂いが残っていた。
最近は、若い人が移住したり戻ってきたりしているという古老の話は、
この情感の中では、すとんと心に落ちる。

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