井上靖は、琵琶湖や湖西について書いたものが少なくない。
湖西より北寄りの朽木についても描いている「夜の声」がある。
比良に残る自然にその憧れを見出しているようでもある。
この退廃していく社会を憂い、交通事故で神経のおかしくなった主人公を通して
その危機を救える場所として近江を描いている。
神からのご託宣で文明と言う魔物と闘うが、自分はそのために刺客に狙われている
と思い込んでいる。魔物の犯してない場所を探して、近江塩津、大浦、海津、
安曇川から朽木へと向う。朽木村でその場所を見つける。
「ああ、ここだけは魔物たちの毒気に侵されていない、と鏡史郎は思った。
小鳥の声と、川瀬の音と、川霧とに迎えられて、朝はやってくる。漆黒の
闇と、高い星星に飾られて、夜は訪れる。、、さゆりはここで育って行く。
、、、レジャーなどという奇妙なことは考えない安曇乙女として成長していく。
とはいえ、冬は雪に包まれてしまうかもしれない。が、雪もいいだろう。
比良の山はそこにある。、、、さゆりは悲しい事は悲しいと感ずる乙女になる。
本当の美しいことが何であるかを知る乙女になる。風の音から、川の流れから、
比良の雪から、そうしたことを教わる。人を恋することも知る。季節季節
の訪れが、木立ちの芽生えが、夏の夕暮れが、秋白い雲の流れが、さゆりに
恋することを教える。テレビや映画から教わったりはしない。」
さらには、「比良のシャクナゲ」は、個人的な思いも含め、比良や志賀の様子を
知るには、中々に面白い。
老いたら恋と家出をしたい。人はまるで「青春」を繰り返すように、この老境の衝動に
は絶ちがたいものがあるようだ。
この「比良のシャクナゲ」という作品は、八〇歳を目前にした解剖学者、三池俊太
郎が失踪する話である。子や孫に恵まれ、学界の頂点をきわめた名声と経済力に恵まれ
た暮らしの中で、彼はふと家出をする。
向かったのは琵琶湖のほとり、古びた旅館だった。かつて二五歳のとき、人生の空しさ
に打たれ、死に場所を求めてここに泊まった。その後、結婚し生まれた長男啓介が大学
生に成長した。学界での地位も不動のものになった矢先、啓介が女性と入水自殺をした
のは、この琵琶湖だった。父親として傷心をいやすため辿り着いたのも、この旅館「霊
峰館」だった。
比良の山を眺めるためにも、歩んできた自分の人生の峰峰を振り返るのにも格好の「霊
峰館」である。人はこのように家出の場所を一ヵ所はもっていたいものだ。
ここに描かれた「老境」の現実は、ヒマ、カネ、ユトリに恵まれた「安らかさ」からは
遠い。息子、孫、嫁達との些細な、しかしウンザリするような日常の葛藤も絶えない。
どうしても書き上げなければならない論文は一向にはかどらず、日々突きつけられる現
実は「明日死んでも不思議ではない年齢」なのだ。彼は焦っていた。
性欲も食欲もなくした彼にとりつくのは「どんな些細な名声にでもこれにすがりたい」
名誉欲だった。
慙愧と嫉妬にまみれる折も折り、新聞に、文化勲章叙勲者のリストを見る。そこに、か
つての同僚の名前があった。そのとき大学の事務室から電話がある。祝賀会の席での祝
辞の依頼である。また新聞社から同僚としてのコメントを求められる。老学者の心がパ
ニックになって不思議はない。
以下、「比良のシャクナゲ」から「魚清楼」のことが語られている文章を見てほしい。
・ この家は何も変わらない。わしが初めてここに来たのは、二十四、五の頃だったか
ら、わしがこの家の座敷に坐ってから?あの時から、いつか五十年以上の歳月が流れて
いるわけである。五十年間変わらない家というのも珍しいものだ。
・わしはなぜ急に堅田になど来たくなったのだろう。考えてみると自分ながら不思議な
気がする。堪らなくこの霊峰館の北西の座敷に坐って湖の面を見たくなったのだ。矢も
楯も堪らなく、湖の向うの比良の山容を仰ぎたくなったのだ。
・わしは家を出てタクシーをとめた時、殆ど無意識に堅田と行先を告げたのだが、わし
の採ったとっさの処置は狂っていなかった。わしはまさしく琵琶湖を、比良の山を見た
かったのだ。堅田の霊峰館の座敷の縁側に立って、琵琶湖の静かな水の面と、その向う
の比良の山を心ゆくまで独りで眺めたかったのだ。
・堅田の浮御堂に辿り着いた時は夕方で、その日一日時折思い出したように舞っていた
白いものが、その頃から本調子になって間断なく濃い密度で空間を埋め始めた。わしは
長いこと浮御堂の廻廊の軒下に立ちつくしていた。湖上の視界は全くきかなかった。こ
ごえた手でずだ袋の中から取り出した財布の紐をほどいてみると、五円紙幣が一枚出て
来た。それを握りしめながら浮御堂を出ると、わしは湖岸に立っている一軒の、構えは
大きいが、どこか宿場の旅宿めいた感じの旅館の広い土間にはいって行った。そこがこ
の霊峰館だった。
わしは土間に立ったまま、帳場で炬燵にあたっている中年輩の丸刈の主人に、これで
一晩泊めてくれと言って五円紙幣を出した。代は明日戴くというのを無理に押しつける
と、主人は不審な顔つきでわしを見詰めていたが、急に態度が慇懃になった。十五、六
の女中が湯を持って来た。上り框に腰かけ、衣の裾をまくり上げて、盥の湯の中に赤く
なって感覚を失っている足指を浸した時、初めて人心地がついた。そしてこの旅館では
一番上等の、この座敷に通されたのだった。すでにとっぷりと暮れて燈火
をいれなければならぬほどの時刻だった。
わしは一言も喋らず、お内儀の給仕で食事をすませると、床の間を柱にして坐禅った。
わしはその時、明朝浮御堂の横手の切岸に身を沈めることを決心していた。石が水中
に沈んで行くように、この五尺の躰が果して静かに沈んで行けるかどうか、わしは不安
だった。わしは湖の底に横たわる自分の死体を何回も目に浮かべながら、一人の男の、
取り分け偉大な死がそこにはあるように思った。
・部屋の隅に床がのべてあったが、それには触れず、畳の上に手枕をし、夜が明けきる
まで一、二時間仮睡しようと思った。
・明日正午までに堅田の霊峰館へ来るように命じた。啓介は、はいと素直に返事して、
すみませんでしたと言って、二階へ上がって行った。わしはホテルの事務員に、そこか
ら程遠からぬ堅田の霊峰館に電話して貰い、自動車で、三十年振りで、堅田のこの旅館
へ来た。啓介の事件で、心身疲れていたわしは、丁度その翌日が日曜でもあったので、
ここで充分休養したかったのだ。
三十年前の主人が年老いて、座敷に挨拶に来た。向い合って話していると、どこか昔
の面影が思い出されてくるようであった。家にはここから電話をかけて、事情を簡単に
みさに報告しておいた。わしは何年かぶりで、書きも読みもしない静かな一人の夜を過
した。鴨には少し時季が早くて、鴨鍋にはありつけなかったが、湖で獲れる魚の揚げ物
がうまかった。わしはその晩ぐっすりと眠った。
老人が自分語りを延々とするわけである。
こういうことがあった、自分はこう思った。
老人ゆえ愚痴や不満が多い。恨み節、嘆き節である。
人生はままならぬ。しかし、いや、だから人は物語る、いや、物語らざるをえない。
神仏に振われた鞭(むち)への復讐が人間の物語なのかもしれない。
痛みをごまかす、違う、痛みをより深く味わうために人は物語る。
物語ることによって話者は事件をもう一度味わうことができる。
聞き手は、話者の味わいをともに味わい、どうしてか満足をおぼえのである。
それは、「星と祭」にも通じることでもある。そこでは、琵琶湖周辺に存する
十一面観音から、自身の様々な思いを巡らしている。
博人は、現在でもその風情を強く残している。そんな場所でもある。
0 件のコメント:
コメントを投稿