2016年5月7日土曜日

国破れて山河あり、ダンダ坊遺跡

すでに人家は途絶え、先ほどまで後ろに光り輝いていた湖の姿も消えた。
道は舗装から砂利道へそして、山道へと変わり、まるで俗世と来世はここだ、
と宣言している様でもある。まるで来世の自分を見せるかのように暗い杉の森が
目の前に広がっていく。歩を更に進めれば、杉の木立ちが天空の蒼さを被い
隠すように続き、見下ろすように立ち並んでいた。細い山道がつづら折りに
伸び、薄暗がりに消えていく。光明の如き薄い光がその先で揺れている。
わずかな空気の流れが私の頬をかすめていくが、聞こえるのは山道を
踏みしめ歩く自分の足音と踏みしだかれる落ち葉の音だ。
静寂が周囲を押し包み、はらりと何かの葉が足下に落ちてきた。
さわりと、その音さえ聞こえて来た。森の光りを切るようにいくつかの影が
通り抜けていく。ヤマガラかホオジロか定かではない。
朽ちかけた標識がやや傾きながら目の前にあった。
上りの勾配がきつくなり、山道を歩く音に合わすかのようにその息づかいが高まり、
別な人がいるかのように聞こえ始まる。千年以上前に建てられたという寺、
天台僧の修業の場であり、多くの寺院が山中に営まれた。江戸時代には、この様子を
「比叡山三千坊、比良山七百坊」と称していたという。
しかし、歩いてきた風景の中には一片の証も見られなかった。
道が切り取られたような崖の間を抜け、右手の山へと続いている。歩けるように
整備された細い道が山の端に沿って、上に向ってさらに伸びている。
ちょっときついな、と心なしか不安を覚える。上っては下り、下りを暫らく
感じると直ぐに上る。そんなことが暫らく続く。小さな水の流れを渡り、
また小さなきざはしとなっている山道を上がる。膝とその周りの肉がそろそろ
悲鳴をあげ始まった時、突然、森が切れ、視界が広がる。
そこは縦五十メートル幅百五十メートルほどの広さを持ち森の重さがすっぽり
抜けたように蒼い空の下に小さな草花を咲かせていた。参道と思われる道が
枯草に身を隠すように伸びている。そこを登り切った所にかっての山門の
名残であろう礎石が二つ置かれている。広場には、苔むした石垣がいくつかの
群れを成し、やや細い灌木の中に散在している。
鷲か鷹か判然としないが、蒼き天空を二羽の鳥が旋回している。
その昔には、遠く彼らの親たちは数百人の人間が天に念仏を唱えながら日々
暮らす姿を見てきたのであろう。滑稽なりと思ったか。
見渡せば、いくつかの遺跡らしきものが私を手招いている様だ。
寺院遺構は、北から南に張出す尾根の先端に位置している。山の端を切りとったで
あろう広い敷地に石垣で築かれた階段、山門、本坊、開山堂、池、礎石と思われる
遺構が残っている。さらに東側の谷筋には、下から坊跡が並び、谷筋の一番奥に
館跡がある。前面を石垣で固め、その背後は築山を兼ねた土塁と堀がある。
風雪にややその姿を緩やかな曲線に落としているものの、正面に開口する石垣で
築かれた桝形虎口というものがある。直角に折れた石垣は見事である。
更には、屋敷跡の北奥には、築山を築き、中心に三尊石を置き、この裾から滝が落ち、
築山裾の池へと流れるような造りがある。武家儀礼のための庭園と思われて
いる様だが、ここは一種の城でもあったのであろうか。まさに城は春にして、
草木深しの趣だ。まばらに林立するブナや杉の木々が柔らかい影をその遺構に
落とし、冴えわたるヤマガラの囀りと枯草の触れ合う音のみがここを支配している。
読経の響く伽藍と御堂が甍の波となって彼の身体を駆け巡る。館跡と庭園
の残照がすでに亡き人々の想いと合わせ、一類の悲しささえ見える。
陽はすでに中天から外れ、徐々に秋の寒さを周囲に撒き散らし始めている。
背中に滲み出している汗が徐々に消えていく。
過去の栄華に想いをはせるには、余りにも小さすぎる広さだ、そんな事を
彼は思う。時は残酷だ。人の肉体と同様に、祈りの場であり、象徴である存在を
見事に風化させている。来たことへの満足感と荒廃した栄光の場への寂寥が
微妙なバランスで彼を取り込み、すでに心は家路へと急いでいた。

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