すでに人家は途絶え、先ほどまで後ろに光り輝いていた湖の姿も消えた。
道は舗装から砂利道へと突然変わり、まるで俗世と来世はここだ、と宣言
している様でもある。まるで来世の自分を見せるかのように暗い杉の森が
目の前に広がっていく。歩を更に進めれば、杉の木立ちが天空の蒼さを被い
隠すように続き、見下ろすように立ち並んでいた。細い砂利道が真っ直ぐに
伸び、薄暗がりに消えていく。光明の如き薄い光がその先で揺れている。
わずかな空気の流れが私の頬をかすめていくが、聞こえるのは砂利道を
踏みしめ歩く我々の足音のみ、静寂が周囲を押し包んでいた。
はらりと何かの葉が足下に落ちてきた。さわりと、その音さえ聞こえて来た。
やがて二つに道がわかれ、苔の薄緑に覆われた石碑には、「金比羅神社」とある。
上りの勾配がきつくなり、砂利道を歩く音に合わすかのように夫々の息づかい
が聞こえ始まる。
今から200年ほど前に農家の老婦が柴刈をしていると金毘羅さんの御神符が
ひらりと落ちてきてこの地に祀って欲しいとのお告げがあり、村人はこの景勝の
場所に祀った。
道が切り取られたような崖の間を抜け、右手の山へと続いている。
歩けるように整備された細い道が山の端に沿って、上に向って伸びている。
ちょっときついな、と心なしか不安を覚える。上っては下り、下りを暫らく
感じると直ぐに上る。そんなことが暫らく続くが、案内人は黙々と
歩き続ける。小さな水の流れを渡り、また小さなきざはしとなっている山道を
上がる。膝とその周りの肉がそろそろ悲鳴をあげ始まった時、突然、
森が切れ、視界が広がる。
そこは縦横二百メートルほどの広さを持ち森の重さがすっぽり抜けた
ように蒼い空の下に小さな草花を咲かせていた。
勾配のきつい山肌に石垣が組まれ、小さな神社が下からも見られた。
金比羅神社が湖を見下ろすかのように鎮座している。
江戸時代、湊も活気があり、漁師や船頭が海の守り神として信仰し、
毎月の例祭に加え、百年祭、百五十年祭も行われていた。大祭の日には猿の
飾りをつるした大きな幟が立てられた。三月の大祭には、地元の人が
お神酒や御餅をもって参詣したという。今はひっそりとその影を強く光る
石の中に落としている。気が付けば、彼の立っている木の枝にはすでに
その形も判然としなくなった猿の人形がわずかに流れる空気の中に
ゆるりと動いた。神社は思いのほか大きくそこからは碧く澄んだ湖の
佇まいがよく見える。色づき始めた木々の画枠の中に沖島や遠くかすむ
三上山の円錐の形が光に映える水面の後背にして具象的な1つの風景画
をなしている。風が一陣、ほおを撫ぜ過ぎ去っていく。
鷲か鷹か判然としないが、蒼き天空を2羽の鳥が旋回している。
彼らから見たら、我々はどう見えているのだろう、とふと思う。
彼らから見れば、単なる石垣と広場と思われる場所に数人ほどの人間が
うごめいている。更には、遠く彼らの親たちは数百人の人間が天に念仏を
唱えながら日々暮らす姿を見てきたのであろう。滑稽なりと思ったか。
苦行は更に続いた。先ずは、先ほどと同じ様な道を南に上っては下り、更に上る。
小さなせせらぎを渡り、同じ様な山道を踏み外さないように慎重に上り、
また下り、上る。和邇は、今日はこれで何回上がったり下がったりしたのか、
そんな考えを巡らしながら眼の前にある細い道を上がっていく。
最後の一踏みを終えると眼の先には大きな池が桜の木に囲まれ、色づき
始めた山の端を後背にして、鎮座している。
池辺の大きな杉の強い緑の影が水面に伸びている。風一つなくて、
水すましの描く波紋ばかりの青黄いろい沼の一角に、枯れた松が
横倒しになって、橋のように懸っているのが見え、その朽木を癒すかのように
二筋の水が黒く繁った羊歯の間から滴り落ちていた。その朽木の周辺から
円い円を描きさざなみがこまやかに光っている。そのさざなみが、映った空
の鈍い青を掻き乱している。朽木は万目の緑の中に、全身赤錆いろに
変わりながら、立っていた頃の姿をそのままにとどめて横たわっている。
疑いようもなく松であり続けているかのように、そこにいた。
彼は、草草のきれた合間からさらに数歩池に近づいた。池の対岸の青さびた
檜林が、こちら側へも広がって来ていて、さらにその影が多くしていた。
どこかから緩やかな調子で水音が聞こえてくる。
羊歯を濡らすかのように幾すじもの水糸が、光に反射するように池辺へと
落ちている。
陽はすでに中天から外れ、徐々に秋の寒さを周囲に撒き散らし始めている。
背中に滲み出している汗が徐々に消えていく。
和邇は思う。すでに心は家路へと急いでいた。
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